【政庁南大路の復元完了】もうすぐ創建1300年『多賀城跡』で奈良時代を感じてみよう!

仙台から日帰り
タヌリウス
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今回は復元工事が進む多賀城を紹介します!

知名度は低いですが、歴史を感じられるみどころがたくさんありますよ!

奈良県の平城京跡、福岡県の太宰府跡は誰もが知る、日本を代表する史跡。歴史の教科書にも登場し、観光地としても有名なこれらの史跡は日本三大史跡に数えられています。

では、 日本三大史跡残りの一つは?というと、それが今回紹介する宮城県の多賀城。奈良時代に大和政権が東北地方を治める拠点として築かれました。平城京や太宰府と比べると知名度が低く、観光客も少ないですが、建物の基礎などが復元されており、史跡の雰囲気をしっかり味わうことができるスポットです。

そんな多賀城跡ですが、転機を迎えようとしています。多賀城は、3年後の2024年が創建1300年の節目なのです!現在は、創建1300年ヘ向けて、南門などの一部建物の復元工事が行われています。2021年10月には南門の復元に先立って「政庁南大路」の復元が完了しました!

この記事では、多賀城の歴史、この度復元された「政庁南大路」の見どころ、多賀城跡へのアクセス方法を紹介していきます!

知られざる見どころがたくさんあります!週末のお出かけ先で迷われている方は、多賀城跡を訪れてみてはいかがでしょうか?

多賀城跡とは?

多賀城政庁の中心・正殿跡

史跡を見学するなら、基本情報はおさえておきたい。ということで、いつ・誰が・なぜ・何を創建し、どんな歴史を辿ってきたのかチェックしておきましょう。

いつ建てた?

創建されたのは神亀元年(724年)。奈良に平城京が作られたのが710年なので、それから14年後のこと。この年代あたりに登場する歴史上の事柄を調べてみると、大宝律令の制定(701年)、和同開珎が鋳造(708年)、墾田永年私財法制定(743年)があります。歴史の授業を思い出しますね。これらの出来事からもわかるように、天皇を中心とした中央集権的な政治を行って全国を支配していこう!という時期に多賀城が創建されました。

誰が建てた?

創建したのは大野東人(おおののあずまひと)という奈良時代の武将です。朝廷が全国を支配していく中、蝦夷(えみし)の制圧に貢献した人とされています。

この時代の日本の中心地は近畿地方。朝廷の支配を拒否していた東北地方の人々を蝦夷と呼びます。朝廷が勢力を拡大していく中で、しばしば蝦夷との衝突が発生していました。

720年に大規模な蝦夷の反乱が発生し、大野東人はこの反乱の制圧に派遣されたようです。

なぜ建てた?

多賀城が創建された理由は、東北支配(蝦夷支配)の拠点とするため

詳しく見ていくと、創建当初の多賀城には2つの役割があったとされています。「国府」「鎮守府」です。

国府

国府は、今で言う県庁所在地。多賀城には陸奥国(むつのくに)の国府が置かれました。ちなみに、この時代の陸奥国は、福島県・宮城県・岩手県・青森県・秋田県の一部。東北地方の中心になっていたということですね。

陸奥国の県庁にあたる多賀城政庁では、中央から派遣された国司(今で言う知事)が政治を行いました。

多賀城に限らず、国府が置かれた地域は、政治的にはもちろん、司法・軍事・宗教の面でも中心地となっていたそうです。

鎮守府

国府が政治の中心であれば、鎮守府は軍事の中心

蝦夷討伐軍や守備、城柵の造営維持といった陸奥国内の軍事に関わることを司どっていました。蝦夷勢力を制圧して行くにつれ、鎮守府の位置はさらに北にある胆沢城(岩手県奥州市)へと移されたそうです。

何を建てた?

多賀城の規模は約900m四方。周囲は泥土を固めて作った築地塀で囲まれていたようです。

城内で最も重要な場所は政庁。重要な儀式が行われていました。政庁を中心に、実務をする役所や工房もいくつか建てられたそうです。

今日に至るまで

11世紀の中頃に終焉を迎えるまで、古代東北の政治・文化・軍事の中心地としての役割を果たしました。

それから1000年程の時を経て、昭和36年(1961年)多賀城跡の調査が始まり、今に至ります。

さて、多賀城の全体像はつかめたでしょうか?

ここからはいよいよ令和の時代に戻って、復元工事が進む現在の多賀城がどのようになっているのか見ていきましょう!

多賀城復元計画

令和の多賀城跡で一番ホットな話題は復元計画!

創建1300年となる2024年に向けて、多賀城南門や築地塀の復元が進んでいます。今回紹介する「政庁南大路」は南門などの復元に先だって整備が完了しました。全てが完成した姿がとても楽しみです!

ちなみに、この復元計画ですが、国からの補助金の関係で創建1300年に間に合わない可能性があるようです。なんとか予定通りに完了して欲しいですね。役に立つかわかりませんが、みんなで観光に行って多賀城を応援しましょう!!

政庁跡南大路の見どころ

多賀城政庁南大路は、多賀城の正門である外郭南門から、政庁へ向けて南北方向に延びる城内で最も重要な道路です。

復元が完了した政庁南大路のみどころを2つ紹介します!

みどころ① 存在感

南門から政庁へと一直線に延びる南大路は圧巻です。

中でも注目はその道幅。多賀城政庁の施設は歴史上4回の変遷があり、第Ⅰ,Ⅱ期の道幅である13mで復元されています。この幅でも大路の雰囲気十分ですが、第Ⅲ,Ⅳ期には20m超えだったと言うから驚きです。

南大路を進むと階段になって小高い丘の上にある政庁へと続いています。広い道幅と上り坂が相まって政庁の厳かな雰囲気を感じることができます。

坂を登り政庁側から見た南大路の景色もオススメ!

復元中の南門をはじめ、仙台平野の田園風景や、東北本線を行き交う列車を一度に見ることができます。奈良時代の人々も同じ地形を見ていたのでしょう。

みどころ② 排水施設

政庁南大路を歩いていると、道の謎の穴が出現します。これは何かというと、雨水の排水施設南大路の一番低いところに配置され、道にたまった雨水を近くの湿地帯へ向けて排出します。

発掘調査で出土したものをもとに、当時の姿を再現してくれています。

南大路では、この排水施設のほか、南大路に沿った道路脇の側溝や、道路脇の石垣などから奈良時代の土木技術をみることができます。

政庁跡ちょこっと紹介

多賀城史跡の中心地、政庁南大路を進んだ先にある「多賀城政庁跡」の様子も少し紹介します。

今度の復元事業で政庁跡に再建される建物はありませんが、以前から再現されている土台が建物があった場所を教えてくれています。

政庁跡の中心・正殿跡
当時はこんな立派な建物が建っていた。
政庁南大路大路へつながる政庁南門跡
政庁東門跡

多賀城跡へのアクセス

最後に多賀城跡への行き方を紹介します。

多賀城へはJRを利用するのが便利!仙台駅からはJR東北本線下り列車で約14分、4駅先の国府多賀城駅が最寄り駅です。「国府」という名前の通り、多賀城政庁跡とは目と鼻の先。駅前には多賀城関連の「館前遺跡」という遺跡があります。

建前遺跡の中を通り抜けると、500m程で南門跡、そこからは南大路を通り政庁跡まで300m程です!

JR仙石線には多賀城駅が存在します。同じ多賀城市内の駅ですが、国府多賀城駅とは2km程離れており、多賀城政庁跡へ向かうには不便なので気をつけましょう。

まとめ

多賀城の歴史と、復元された政庁南大路、多賀城へのアクセスを紹介しました!

これまであまり観光客の多い印象はなかった多賀城跡でしたが、南門一帯の復元工事が完了した際には人気スポットになるかもしれません!

ぜひそんな多賀城で奈良時代を感じてみてはいかがでしょうか?

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